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「飯島さんには尊敬している人はいますか?」
その唐突な質問に思わず金縛りにあってしまいました。
「尊敬する人?うーん、誰だろ」
でもその前にひと言いわせてもらえば、大体その質問自体がヘンなのですよ。
尊敬する人がいなければいけない、という大前提に立った儀式純度100%の質問。
答えられなければあなたヘンですヨ、
まだ見つかっていないのなら福沢諭吉先生をお薦めしますがいかがですか?
などといわんばかりの無礼な質問。
特に教師はこぞって子どもたちに「尊敬する人はいますか」等ととてもエラそうに聞きます。
人生まだ始まったばかりの彼らでしょ?知っている人物なんてせいぜいモー娘かキムタク。
福沢諭吉とか野口英世(古いかな?)なんて知るわけないなのです。
「フクザワユキチ?そんな花は知らないよ」
「ホラ、見たことあるだろ?一万円札の」
「・・・?」
「いや先生はネ、君に尊敬する人物を持って欲しいから」
指導マニュアルを横目でチラチラ覗き込みながら教師も必死で対抗してきます。
「尊敬する人は福沢諭吉です」「尊敬するのはお父さんです」
「将来、お父さんのようになりたいです」と答えて欲しいのが見え見えなのです。
福沢諭吉さんや湯川秀樹さんやナイチンゲールさんといった一連のノーベルショウをもらった方々、
そしてもれることなく「お父さん」を尊敬させなければイケマセン!とマニュアルにでも書いてあるのでしょうか。
これと全く同様のバカバカしい質問があります。
「将来、君は何になりたいのかな」
腰を落とし猫撫で声で、でもしっかり目だけは「答えなさい!」と瞳孔を開いて言い寄る先生がいます。
この無意味な質問は戦後の教育現場から今もなぜかズーッと伝承されて来ているイワクツキの代物です。
それほどユイショタダシキモノらしいのです。
警察官と消防士、スチュワーデスと看護婦さんぐらい(まだあるけど)しか
世の中の職業をまだ知らない彼らに「何になりたい?」なんて聞いて、
一体どんな職業を期待しているのでしょう。
世の中には先生たちでさえ知らない無数の職業が存在しているんですよ。
それよりも「聞いてどうすんの!」ってコト!。
「えーとですねぇ、ホラこうして指導要綱の中に・・・」
おやおや、また指導要綱様のお出ましですか?
この答えは2つ。
まずは「不安」だから デス。
荒廃の一途を黙々とたどる我が日本経済の未来に、親は不安でたまらないのです。
せめて我が子だけは路頭に迷う職業について欲しくない、
安定した職業について欲しいという切なる願いから、実は
「あなたの将来が不安だから、せめて今何になろうとしているのかを聞かせてママを安心させて」
と言っているのです。純度100%の親のおねだりなのです。
もう一つは「右にならえ」です。
日本人の最も得意なジャンルです。
「とにかくなんでもいいから、
ホラ、よその子も言ってるんだからアナタも言いなさい、
なんでもイイのよ」
という、子どもにとったらたまったもんじゃない押しつけです。
「じゃ、パイロットになりたい」
と言えば、「あら可愛いわネぇ」と頭を撫でてチャンチャン。それで終わりです。
「じゃ」でも「だったら」でも「仕方ないから」でもなんでもいいのです。
まっ、子どももそこんとこちゃんと解っていてテキトーに答えているわけですから、
親も教師もテキトーでいいんですけど。
でも「それが教育だ」とか、「親子間のコミュニケーションのためにも」なんて
平気な顔して言ってのけちゃう校長先生や教育委員会のおエライ方々が、
今も生存しているというのは驚きでしょ。
「作文まで書かせる暇があるんだったら、
もっとたくさんの職業の、
それも現場のプロの姿を見せてあげたらイイのに」
とボクはついつい思ってしまうのです。
学校側にとって都合のいい社会を見せるよりも、例えば農家であったり酪農家であったり、
左官屋さん、水道屋さん、ダンプカーの運転手さんといった彼らのプロの技と姿(額の汗も)を見せてあげて欲しいのです。
でも学校側は地元でも立派な企業の工場なんかをチョイチョイと視察させてハイおしまい。
きっと最初から「なって欲しくない職業は見せない」ように
指導要綱にでも書いてあるのでしょうか、
それにしてもオソマツです。
ダンプカーの運ちゃんの神業のようなハンドルさばき、
牛と会話ができてしまう酪農家のおじちゃんの読心術、
明日の天気をズバリ当ててしまう船乗りさんの超能力・・・。
うーん、ボクも知りたい。
かく言うボクも
「将来のことは今のうちにちゃんと考えておけヨ」
などと平然と言い続けていた時期がありました。ちょうどバブルがはじけた頃ですけど。
うーん、今はチョット反省してます。
ある日、うっすらと鼻の下にヒゲがはえてきた高校1年生の息子がポツンと言いました。
「オレさぁ、将来プログラマーになりたいのね」
それに続き、最愛の娘も身を乗り出して言いました
「私はデザイナーになろうと思ってるんだ」
結局とどのつまり、「親だけには言っとくか」みたいな時期がくれば彼らは言わざるを得ないのです。
決して尋ねるほどの質問ではないのです(尊敬する人もそうです)
それまで親はボーッとしていればいいのです(楽チンでしょ)
「うん、なれたらイイね」
「どうすればなれるかなぁ」
「そーだなぁ、師匠でも見つけたら?」
その程度の会話で終わってしまいます。
この程度の会話だからこそ「あっ、こいつ親のくせにオレの将来に責任持ちたくないんだナ」と彼らは悟るのです。
悟ると自らが行動せざるを得ないのでシブシブブツブツ言いながらでも行動してくれます。
またまた親はひじょーにラクチンでイイです。
指導マニュアルっぽいですが、
実際、ボクはかれらの将来になんか責任持ちたくないのですから仕方ないです。
「責任を持つ」という
ハラハラドキドキ、スリル満点の醍醐味を横から奪い取る気はサラサラありませんので。
「行動」に対する「報酬」はなにも「金品」だけじゃない筈です。
やがて娘は、自分の足で専門学校を探し出して来ました。
(息子はまだヘラヘラしています)
「尊敬する人はいますか」
「将来何になりたいのですか」
コレみんなよけいなお世話だったのです。
尊敬する人がみつかったらソッと自分の胸の中に秘めておけばイイのです。
なりたい職業がみつかったらコツコツなればイイのです。
なんでこんな事、宣言しなくちゃならないんでしょう。
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